2017年10月4日水曜日

無題

夜、眠る前のひと時必ず小説を読む。

学生の頃は同じ作家の小説を何冊も続けて読むことができたけれど、
今は1冊読んだらお腹いっぱい。
それが好きな作家だとしてもしばらくは違うテイストの小説を
あれこれ読んでぐるっと戻ってきて2冊目を手に取る。

自分の中にいくつも大きさや形の違うコップがあって
空になりそうになると激しい空腹感というか欠乏感というか
とにかく強く必要性を感じてコップを満たそうとする。

そのコップは1作家1コップではなく、勝手に私がジャンル分けしている。
多分誰とも共有できないであろう私だけの基準によって、
大胆にカテゴライズしてる。

初めて読んでみる作家の作品を手に取るときは
いろいろなリスクを考えて、現時点で読めるコンディションにあるかを
判断してから読み始める。

最近新しい出会いに対してかなり臆病。

小説は数日かけて読むことが多いので、読んでいるその数日間は
少なからずその小説の感じをどこかにまとってしまう。



朝起きて、朝の支度をしながらBGMをかける。
すぐに聴きたいCDを思いつくこともあれば、
CDの棚の前でしばらく悩むこともある。
音楽に関しても、小説と同じく自分基準のカテゴライズがなされていて
やはり小説同様コップが存在する。
だから、空になりかけているコップに属する音楽を補充すべく選ぶことになる。

それでも、なんとなくこれじゃなくて、こんな感じなんだけどちょっと違って・・・。
などとなかなか決まらないこともある。
1枚選んでかけてみたらやっぱりちょっと違う、と選び直すこともある。
ふいに手に取った1枚が、自分が予期しなかった感じで
気持ちにピタッとくることもある。

朝 手に取ったCDがその日1日の私の気分に与える影響は結構大きい。



朝の支度がいろいろ整う頃、ポットに湯を沸かして珈琲を淹れる。
お湯が沸く前から、
「今朝は深い感じがいいな」と思っている日もあれば、
「すごく軽い珈琲もいいけど中深煎りくらいの感じもいいな」と、
なかなか決まらない日もある。

あれこれ迷い始めると決められなくなる。

小説や音楽が住まうコップのようなもの、珈琲用はない・・・と思う。。
私にとって珈琲は、
私の中に足りなくなってきている何かを補うものではなく、
私が今日を楽しく過ごすための頼りになる味方、なのだと思う。


ネルを温めながら窓の外を眺めたり、
窓から差す光を眺めたり、
カップを温めたり・・・。
そうこうするうちに鼻の奥の方に浮かんできた珈琲のイメージを手掛かりに豆を決める。

ミルの音、珈琲の香り、ポットにお湯を移す音、湯気。
ネルの中で膨らんでいく珈琲、立ち上がる甘い香り。
イメージした珈琲にゆっくりゆっくり出会っていく時間。

私の朝の1杯はだいたいこんなふうに私のところにやてくる。


毎朝寸分の狂いもなく心にピタッとくる珈琲とはいかないけれど、
概ねその日1日を元気に過ごさせてくれる1杯になる。




前の夜読んだ小説の何かをうっすらと纏い、
朝いちばんに聴いた音楽のエッセンスを原動力にし、
朝の珈琲を心の支えに1日を過ごしている。・・・らしい。